「制約」について考えたこと。(後編)

思考の囚われに気づき爽快な気分になった私でしたが、他の人は、制約には創造を推進する側面があるということをどう捉えているのか気になったので、近くにいた長男(高1)に聞いてみました。

ただし、制約とは、人間である限り必ず持っていて、全くない状態にはできないものですよね。無意識的にも意識的にも必ず制約は受けています。その中で、ある一部分を取り出して、ここでは基本的にはデザインの制約についてという話をしていると思ってお読みください。

私「人間が持っている「制約」についてなんだけど、どんなイメージがある?」

長男「縛られる印象がある」

私「だよね、私もそう思ってた。でも、ちょっと面白い考えを知ったの。自由に絵を描きなさいって言われるのと、A4の紙の中に鉛筆で絵を描きなさいって言われるのでは、どっちが表現しやすい?」

長男「後の方」

私「そうなんだよね。何かしら制約を示された方が、表現しやすい。制約には創造を推進する側面があるんだって」

長男「ふーん……そうか。でも気が楽なのは自由に描けって言われる方だと思う」

私「は!?」

長男「制約がある場合は比較されるからな」

私「えっ……比較?そうかな」

長男「そりゃそうでしょ。制約がある中での表現だったら、比較が生まれるよ。制約がなければそれはない。比較しようがない。そっちの方が気が楽」

私「長男は、比較されたくないんだ」

長男「オレはね。でも、制約があったら、比較や競争や格差が生まれるのと同時に、水準も高くなる。そうじゃない?」

私「むむ、そうかな」

長男「そうだよ。資本主義はそうやって発展しているんでしょ」

ちょっと意外な答えが返ってきました。これだから他者との会話は面白い!です。

制約がある中では比較・競争・格差が生まれるという側面について、それは真なるかと別の機会にまた掘り下げてみたいと思います。

ところで……

山梨県釈迦堂遺跡出土の水煙土器(縄文時代中期)。美しく独特な造形に圧倒される(イラスト:金田)

制約がある中で高精度のデザインが生まれるというならば、私は、例えば縄文時代の火焔土器(馬高式土器)や水煙土器(曽利式土器)のような芸術的な意匠が生まれた背景に心寄せずにはいられません。縄文土器の場合、少なくとも粘土で作られ、何かを煮るまたは盛る(神が宿る依り代という考えもあるかも?)という、器としての機能を持っていると考えられますが、あれらの意匠の初源は、制約がない中で花開いたものだったのでしょうか?それとも、なんらかの強烈な制約の中で創造を推進する力が働いて発展したものだったのでしょうか?仮にそうだとすれば、その背後には一体何が存在しているのでしょうか?

人間を取り巻く「制約」、そして創造力が飛躍的に高まる背景について、興味は尽きません。

私が制約から意識的に逃れる方法について興味があるのは、抑圧や思い込みによって苦しんだ経験によるものかなと感じているのですが、逆に言えばその過程で、知らず知らずのうちに制約のなかで創意工夫をするという技術を身に付けたのかもしれません。

とある制約をものともせず、人と違うことをする、社会通念を超えたところで思考する人が、時代を大きく動かしてきたのかもしれないですね。

以上、「制約」について考えたこと、でした。

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金田あおい

金田あおい

代表・デザイナー時代意匠考案 藍寧舎
大学・大学院で考古学を学んだのち、考古学や歴史学が持つ肯定的な側面に焦点を当てたデザインをしたいと専門学校へ。現在は、デザイン製作・ワークショップ・トークイベントなどをおこなう、時代意匠考案 藍寧舎(らんねいしゃ)として活動しています。

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