遺跡に行って考古学Vol.12 岩宿遺跡

---その日まで、日本史年表の始まりは縄文時代だった。
昭和21年秋、青年は行商を終え、岩宿の丘陵を切り通した畑道の家路を急いでいた。と、崖状になった道の両側の赤土層の中で、ガラスのように光る黒曜石の破片が青年の目に映った。
「これは縄文時代を遡る旧石器時代の遺物ではないだろうか?」
青年は湧き上がる思いを胸に、より確かな証拠を求めて赤土層の調査に打ち込んだ。そして昭和24年7月、ついに黒曜石製の槍先形尖頭器(石槍)の完形品を採集。日本列島の人類文化の起源を遡らせる、岩宿遺跡の発見であった。---

いつになくドキュメンタリーチックにはじめてみた「遺跡に行って考古学」ですが、もちろん今回の舞台は群馬県みどり市にある岩宿遺跡、青年=相澤忠洋氏がその契機となる石器を発見したエピソードです。

遺跡には石器を見つめる相澤氏の銅像が立っていました

相澤氏は独学で考古学を学び、周囲の遺跡を調査するアマチュア考古学者でしが、彼の発見により日本最古の文化が、土器を持たず石器だけを用いて生活していた旧石器文化であることが明らかになりました。
当時、火山灰などで形成された赤土層には人類の生きた痕跡は認められず、その上に堆積した黒色土から見つかる縄文時代の遺跡が、日本における人類文化の始まりと考えられていました。しかし相澤氏の情熱が実を結び、石器は紛れもなく赤土層の中から見つかったのです。

相澤氏が最初に石器を見つけた場所。この斜面に石器が顔を覗かせていたんですね

同年9月から行われた明治大学の発掘調査および近年の調査により、この地には、約3万年前(岩宿Ⅰ石器文化)と約2万年前(岩宿Ⅱ石器文化)、さらに約1万8000年前(岩宿Ⅲ石器文化)の3時期に渡り、旧石器人が暮らしを営んだことが確認されました。

岩宿ドームの内部では地層を見ることができます

現在、遺跡は整備が進められ、相澤氏が黒曜石の破片を見つけた場所には記念碑が、明治大学が発掘した場所には遺構保護観察施設(岩宿ドーム)が建てられています。その西側には岩宿博物館と、世界の旧石器時代の住居が復元された岩宿人の広場があります。

岩宿人の広場に復元された、ウクライナ・メジリチ遺跡のマンモスの骨を使った住居

博物館内には岩宿遺跡から発見された石器をはじめ、遺跡の意義や地層の成り立ち、自然環境や動植物、地域間の石器の違い、石器の作り方など様々な視点から旧石器時代(博物館では岩宿時代と呼ぶ)を紹介しています。またマンモスの全身骨格などもあり、親しみやすさを添えています。

石槍をモチーフにした博物館では旧石器の基礎知識を学べます

ところで一見すると簡素に思える石器ですが、石器作り(要予約)を体験してみると、旧石器人たちの持つ技術がいかに高度かよくわかります。
私も挑戦しましたが、かなり苦戦しました。鹿の骨で黒曜石を割って形にしていくのですが、欲を出してもう少し尖らせようと思うと、ぱっくり割れて台無しになってしまいます。石器作りに関しては、縄文人よりも旧石器人の方が優れていると聞いたことがありますが、石の割れ方の法則を理解していないと石器は作れないのです。旧石器人、すごい! 
失敗した石槍でもその切れ味は鋭く、こんなので切れるのかな?と刃先をスーッとなぞると、皮膚が切れぷくっと血があふれてきてビックリ! 黒曜石をなめてはいけません。

今では当たり前に日本の歴史年表のトップバッターである旧石器時代が、60年ほど前までその存在すら知られていなかったと思うと不思議な感じがします。歴史とは常に塗り替えられていくものなのですね。固定概念にとらわれたらいけないな、信念を曲げてはいけないな、と思わせてくれる、私の大好きな遺跡のひとつです。

みどり市岩宿博物館
住 所 :〒379-2311 群馬県みどり市笠懸町阿左美1790番地1
電 話 :0277-76‐1701
開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始
入館料 :大人310円、高校生200円、小・中学生100円
アクセス:両毛線岩宿駅より徒歩25分 詳細はこちらを参照

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多田みのり
旅と歴史のライター、奈良市観光大使 大学・大学院で考古学、歴史地理学を学び、一般企業に就職。その後、一般の方にわかりやすく考古学の成果を紹介することで、自由に歴史を語り、想像する人が増えてほしいとの思いから、歴史ライターに転職。雑誌やウェブでの取材、執筆、編集のほか、小中学校でのワークショップや講演などを行なう。

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