
中学生の頃、国語便覧を眺めるのが大好きでした。どのページも初めて触れる文物に溢れ、具体的な説明文に心踊りました。とりわけ、平安時代の装束についての項はいろどりも美しく、源氏物語や枕草子の内容とあいまって、歴史や文学の世界に没頭させてくれる、私にとってとても大切な書籍でした。
懐かしいなあと思いつつ、テーブルに置いてあった次男の国語便覧を拝借して楽しんでいたら、ふと疑問が湧いてきました。
十二単の過渡期についてです。
国語便覧には、装束の呼び名や形状、当時の衣食住については詳しい説明があるのですが、どうしてそのような衣服になったのかという歴史的な背景については書かれていませんでした。
奈良時代のツーピース的な服から十二単へ、また、上げ髮から下げ髮への変化は大きなものだと思うのですが、その移行はどのように進んだのでしょう?

ファッションリーダー的な人が、流行らせた画期的なスタイルなのでしょうか。それとも、やはり過渡期があって、徐々に単衣の丈が長くなっていったということなのでしょうか。
仕事で古代風衣装の縫製も行なっているので、そこの復元がとても気になります。
ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
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金田あおい
代表・デザイナー : 時代意匠考案 藍寧舎
大学・大学院で考古学を学んだのち、考古学や歴史学が持つ肯定的な側面に焦点を当てたデザインをしたいと専門学校へ。現在は、デザイン製作・ワークショップ・トークイベントなどをおこなう、時代意匠考案 藍寧舎(らんねいしゃ)として活動しています。

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